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スティーブ・ペリー

スティーブ・ペリー

高い能力をもち安らぎを与える雄大な歌声



参照:ウィキペディア

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 この映像は1981年のライブツアーのものです。この年というのはジャーニーというバンドのアルバム『Escape』が自身初の全米1位となり、同バンドを一躍80年代の人気バンドにした年です。ボーカルはスティーブ・ペリー氏。聴いての通り生歌でありながらhiBやhiAといった高音を柔らかく雄大に歌い上げ、その歌声の美しさはリスナーからも同業者からも惜しみなく賞賛されました。

 彼の声というのは倍音の鳴りが強いため個性的で広がりのあるものとして聴こえます。その上、声のゆらぎがきれいで高いキーでも艶と柔らかさはそのままに、まるで声が宙を漂うかのようなリラックスした感覚があるんですね。「百万人に一人の声」などとも言われたようですが、呼び名のとおり唯一無二の価値をもったシンガーと言えるでしょう。

 それと倍音に関しては整数次倍音が豊富なことは当然ながら、ザラっとした非整数次倍音も上手に扱うためにバラードでの抒情感はロックシンガーの中でもダントツ。さらにロックチューンではhiGという超高音のホイッスルボイスも披露しているので魅力・対応能力共に相当ハイレベルな歌声となります。いやぁアメリカって怖いですね。




 このジャーニーというバンドは78年にスティーブ・ペリー氏が加入してからというもの、聴きやすいキレイなロックサウンドへと移行して急激に人気を高めました。同時期のTOTOやフォリナーといったバンドも音質を追究した爽やかなサウンドを指向し、こうしたロックの風潮はAOR(オーディオ・オリエンテッド・ロック)と名付けられました。直訳すると音質指向ロックですね。

 しかしロックと言えばその反抗的なサウンドであり、アバンギャルドな試みによって進化するというイメージがあるため、日本ではそうしたAORのサウンドは「産業ロック」、つまりただの売り物のロックであると揶揄されたのです。その思想の是非はさておき、このネーミングとカテゴライズは非常に便利なため私も利用させていただきます。

 というのも、70年代後半というのはディスコ音楽やフュージョン、イギリスのパンクロックに押されてアメリカのロックは売り上げが低迷している時期でした。その中で77年にスティーリー・ダンというバンドがフュージョン色の濃いアルバムをリリースするとこれが大ヒット、そうなるとロックの次の方向性はこれだと腕のある中堅バンドがこぞって舵を切ったわけです。

 そうしてジャーニーやフォリナーといったバンドがAORに向かい、またスタジオミュージシャン数人がロックバンドとして結成したのがTOTOであったのです。だとすれば、まさにこの時期フュージョンやスティーリー・ダンの影響を受けたロックバンドを産業ロックとして括ってしまえば、それは転換のタイミングとその意図から考えてもなかなか納得のいくネーミング・カテゴライズだと思うのです。そこにはロック不況に対する確かな動機付けがあったわけなんですね。




 しかしセールスが欲しいからただフュージョンっぽくしたところで、それがすぐにポンポン売れるわけではないのは当然のこと。フュージョンというのは歌のない器楽曲が多いですから、それを歌ものとしてアレンジし、なおかつロック本来の取っつきやすさも欲しい。そういった要請の中でAORというのはロックの新たな形として洗練されていくことになりました。下の動画、TOTO『99』の清潔感とキャッチ―さはそのスタイルの結晶のひとつとして重要な曲かと思います。79年制作。




 そうした腕利き揃いのAORバンドの中、ジャーニーがさらなる強みとして持ち上げたのがスティーブ・ペリー氏のボーカルだったんですね。他のボーカルも高い能力をもってはいましたが彼の歌声はそれをさらに上回る魅力があり、流暢なサウンドの中でもハッキリと歌の力を感じ取れるものでした。AORの中でも、ジャーニーは良い音と良い声が合わさればここまで求心力を持つという、ビートルズ以来のロックの魅力を再確認できるバンドなのではないでしょうか。

 その人気は80年代から96年の再結成、2000年代はボーカルが交代してからも衰えることなく続いています。功績・実力・人気から見て、スティーブ・ペリー氏というのは80年代伝説のボーカリストの一人と呼んでも遜色のない存在かと思うのです。





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フュージョンの流れの中の産業ロック

 その洗練されたサウンド、演奏技術から産業ロックと呼ばれ多くのフォロワーを生み出したジャーニーやTOTO。ジャーニーは結成当初はプログレッシブロックを指向した音楽で、そのジャンルの衰退とともに音楽性を転換させフュージョン的なスペーシーなサウンドへ向かい、TOTOはフュージョンをロック寄りにした音楽からより歌ものとして納得のいく音へ移行し、フュージョンとは別の美しさを追求しました。やはりサウンドというのは時代とともにあるということなんですね。

 ここでは同時代のフュージョンバンドを振り返り、その時系列の中でAORがどう位置付けできるのかを見てみましょう。こうした方がロック史だけを見るよりAORというものがよくわかる気がするのです。




 それでは72年のホワイトエレファントから始めましょう。このバンドはヴィブラフォン(鉄琴)奏者であるマイク・マイニエリ氏の結成したバンドで、メンバーのスティーブ・ガッド氏(dr)、マイケル・ブレッカー氏(sax)など後にスターとなる奏者が参加しています。サウンドはファンク・ジャズ・ロックを合わせたようなもので、分類不能な音楽性はフュージョンと呼ぶのが都合が良かったでしょうね。




 次は73年、ドラムのビリー・コブハム氏がリーダーとなって作ったアルバムから。プログレっぽくストイックな音楽で、なんとも間口の狭そうなものではありますがエレキジャズよりもロックに近く、これもフュージョン黎明期の音でございましょう。この時期はフュージョンもあまり商業的な音ではありません。しかしコブハム氏のドラムが凄い。




 74年はボブ・ジェームス氏のクラシックカバー『はげ山の一夜』。実は72年にチック・コリア氏の重要作品があったのですが、ホワイトエレファントの方がロックとジャズの融合っぽかったので載せませんでした。主なアプローチはボブ・ジェームス氏と近い音です。

 このジェームス氏の音も電子音をうまく使ったアレンジとなっていて、怪しげな緊張感をまとった雰囲気は流石。アルバムもグラミー賞の候補となりフュージョンの代表ミュージシャンとなりました。




 最高峰のロックギタリストであったジェフ・ベック氏がフュージョンサウンドを引っ提げて再起した75年、そのアルバム『Blow by Blow』は全米4位という歌のないアルバムとしては意外なヒットを飛ばしました。彼のテクニックには当時のギター小僧たちもぶっ飛んだようで、TOTOのスティーブ・ルカサー氏も「宇宙人かよ」とコメントしていました。さすがに本職のロックギタリストだけあって、ジャズから転身した方よりもロックとして洗練された音となっています。




 ここでジャーニーのデビューです、75年。プログレみたいなサウンドでイマイチ取っつきにくい時期、お察しの通りあまりセールスには恵まれていません。ここからプログレ人気も下火になっていくため、否が応でもサウンドの転換を迫られることとなります。




76年は爽やかなジョージ・ベンソン氏の『Breezin'』という曲。このサウンドはその後のスムースジャズの走りとなっていて、その耳心地の良さはフュージョンの在り方として一つのモデルとなっています。なんとなく取っつきにくかったこのジャンルが聴衆に聴かれるようになった転換点かもしれません。また、この年はスティーブ・ガッド氏を擁するスタッフという重要バンドがデビューしており、その人気もフュージョンの追い風となりました。




 ここでスティーリー・ダンというバンドが本格的なロックフュージョンを制作し、77年に大変な話題となりました。アルバム『Aja』は制作費2億円をかけて有名ミュージシャンを起用して録音されたのですが、そのクオリティの高さと話題性からあっという間に黒字収支となったようです。こちらはロックを洗練させるモデルの一つとなり、AORのサウンドにも影響を与えたことと思います。それと同年にウェザーリポートというバンドのアルバム『Heavy Weather』がヒットし、伝説のベーシストであるジャコ・パストリアス氏とともに話題となっています。




 さて、78年はスティーブ・ペリー氏がジャーニーに加入した年となります。歌声も変わりましたが、音の落ち着いた様が上のスティーリー・ダンに大分影響を受けているように感じます、元々メンバーの技術はあるのでフュージョン的アプローチもすぐ取り込めるんですね。一つ一つの音はロックっぽいのですが、時代に合わせてプログレからフュージョンへと近づいていきました。




 そしてTOTOも78年にデビュー。そのサウンドはフュージョンそのままで、そっちのミュージシャンがロックバンドを組んで制作されたような印象です。コンセプトはスティーリー・ダンに近いのですが、もうひとつ垢抜けない感じがあり大ヒットとまではいきません。フュージョンをそのまま持ってくるのではなくもっと進める道がある、ここからTOTOはそのサウンドを急激に洗練させていくことになりました。




 もうひとつ78年から。ブレッカーブラザーズが『Heavy Metal Be-Bop』というタイトルセンス抜群のアルバムをリリース、当時は新興ジャンルであったヒップホップの要素を加えたフュージョンを展開しジャズファンの度肝を抜きました。ここまでヒップホップな曲は他に収録されていませんが、どの曲もエキセントリックでその先進性は高く評価されています。

 しかし何が凄いって、こうしたサウンドを凄腕として名が通っているマイケル・ブレッカー氏が始めたということですよ。ぽっと出の人ではなく腕のある人がこういうことをしたら他の人は立つ瀬がないですね。




 最後は79年のラルフ・マクドナルド氏、マンボのようなリズムを取り入れリゾート気分の音楽となっています。難しいことはやっていないのですがセンスが良く、当時としては目新しいサウンドです。70年代初期から比べてかなり聴きやすい音となりました。この時期はジャマイカやカリブのリズムが注目されていて、あちこちのジャンルでその影響が捉えられるんです。

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 とまぁこんな感じで、ロックの流れだけを見ているとAORはいきなり産業ロックと呼ばれたサウンドになったようでも、それをフュージョンの進歩と並べてみるとやはり日進月歩、時代とともに発展していった様子がわかるわけです。どちらも聴きやすくなっていく時期が似ている。

 後から見ると事務所の言いなりになってただ売れそうなサウンドを作ったように思えてしまいますが、フュージョンの流れとともに眺めると、制作の段階ではそのサウンドはフュージョン要素を取り入れながらどうやってロックらしさ、新しさを追求していったのかが見えてきて、その手腕には驚かされてしまいます。

 もちろん事務所もバンドも曲を売りたいですから、よりキャッチ―な要素を盛り込みたいという気持ちはあるでしょう。しかし彼らのフォロワーはともかく、AORの開拓者であるジャーニーやTOTOというのはこれまでにない美しさを創造し、媚びるというにはあまりに洗練されたサウンドであることを考えると、やはりその芸術性の高さというのは否定しようもないのではないか。何より今でも聴かれていることがその証となるんでしょうね。

 私はジャズやフュージョンばかり聴いていた時期があり、その時に得た知識というのがロック史とつながっていったのは気分が良く、おもしろかったのです。当時の音楽ファンには周知のことではあったでしょうが、後追いの人間にとって、自分の好きな分野の情報網が合わさって時代を認識できるのって嬉しいんですよね。またおもしろい切り口がみつかるといいなと思います。


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